ザ・ブランク・ネイムド・ア・ラボラトリイ

 それは部屋であった。純然たる白に埋め尽くされた部屋である。それは六面の内壁の素材が持つ色であり、直方体の内部は全面から光が放たれ、突起も窪みもない完璧に滑らかな部屋には窓も継ぎ目もなかった。ただ一定の揺らがぬ光に満たされた部屋は、奥行きも高さもその実体すらも定かでなく、それは空白のようであった。
 その部屋は幾つかの物質で構成される気体に満たされていた。それは全てが無機物であり、その比率は常に一定に保たれていた。またその中には一定量の水分子も存在していた。
 そこは温度さえも一定に保たれ、同時に無音であった。循環する大気も、光源も、何も音を発せず、他に音を発するものもなかった。
 秩序だけが支配していた。

 やがて壁面の一つの中央に亀裂が生じた。亀裂は長方形の窪みになり、それは縦に割れて左右へ吸い込まれていった。後には長方形に口を開けた奥行きのある穴が残った。穴の中は部屋と同じように白に満たされていたが、奥へ進むに従って徐々に暗くなっていた。突き当りには何か不規則的な形をした奇妙に蠢くものがあった。突き当たりの面は壁面に向けて進んできた。それと平行して突き当たり部分の長方形にも光が届くようになった。そこにあるものは固定されているのではなく、単にその長方形に乗せられているだけであった。それはつまりその壁面が重力の作用する方向である下に位置していることを意味していた。
 床に開いた穴の底の長方形は、蠢くものを乗せたまませり上がってきた。長方形は床面を通り過ぎ、部屋の約五分の一の高さに達したときに静止した。
 静寂は乱された。整然たる秩序の中に一つ、混沌が紛れ込んだのである。床からせり出した直方体の上に乗ったものは、体積の約三分の一を占める歪な球形に開いた穴の奥から、空気との摩擦で生じる音を出していた。それは規則的と言えるところもあったが、全体としては明らかに不規則的で歪であった。それが音を出すたびに、空気は掻き乱され、均衡は崩れた。それが音を出すために空気を吸い込み、摩擦させて排出するときには、気体の成分中に含まれる一つの無機物の割合が圧倒的に低くなっているのである。部屋全体の大きさと比較すればその量自体は些細なものであったが、その吸入と排出は、音が出るときも出ないときも止むことなく続いていた。しかし全体に於いて気体の構成物質の割合に大きな変化はなかった。その部屋は恒常的な秩序が崩れることを許容しないのである。
 蠢く奇妙なものは、有機体であった。無機的な部屋の中にはただ一つの有機体である。その有機体は大まかに言って六つの部位に分かれていた。一つは音を出す穴のある歪な球形の部位、それが細い筒のようなもので一番大きな部位に繋がれており、その部位には四本の、細長い筒状の部位が突き出していた。四本の内の二本は大きな部位の両側面の球形の部位に近い端に繋がっていて、残りの二本は球形とは反対側の側面に繋がっており、前者よりはやや太かった。
 球形の部位には五つの穴が開いており、一つは先程の音を出し気体を吸引する器官である。その少し上には、丸みのある、底面の角の一つを挟む二辺が長くなった四角錐のような物体が乗り、短い辺の側面にはそれぞれ一つずつ楕円のような穴があった。そして球形の左右には歪んだ楕円のような物体がついていた。それには数本の襞に囲まれるようにして穴が開いていた。
 球形の中央にある四角錐の上には、頂点を挟んで二つ、弧状の裂け目が二つ並んでいた。裂け目の上下にある薄膜の裏側には何か球形のものが蠢いていた。
 中央の大きな部位は上辺と底辺の向かい合う二辺が長い四角柱の縁を削いだような形で、中央のやや下には小さな窪みがあり、それを含め、上から三分の一ほどのところに逆二等辺三角形を描くような二つの角のところにはそれぞれ一つずつの突起があった。
 四本の筒は中央の部位との接合部分と、全長の中央、そして先端付近に片側へ屈折するようになっていて、その先には上下では形と長さの異なる、三つに屈折する先細りの筒状のものがそれぞれ五本ずつついていた。また計二十本の筒の先端には、縦長の楕円形をした硬質で半透明の物体が張りついていた。
 それには色があった。白に近くはあったが、やや赤味と黄味を帯びていた。全体に薄青く浮かぶ筋が走っており、幾つかの場所ではそれが規則的に痙攣していた。
 球形の部位にある二つの亀裂には黒く柔らかな棘のようなものが、裂け目をなぞって上下に並び、薄膜の上にもそれと似た棘が何段かに並んで薄く弧を描いていた。球形の上部にも同じようだがもっと長い線状のものが、頂点付近を中心に円を描くように突き出し、球に纏わりついていた。そして有機体の全体をも、更に微細で柔らかな無色の棘が覆い尽くしている。球形にある音を出す穴の周りは薄赤く縁取られ、穴の内部は粘膜の赤い空洞であった。
 有機体は緩慢に動き、その都度に部位と部位の境などに溝が生じた。有機体の二つの裂け目が広がり、薄膜が収縮した。
 そこに現れたのは白に黒い円の乗った滑らかな球体であった。

 有機体は完全に静止することはなく、絶えず裂け目を開閉させたり、筒状の部位やその先端を動かしたりしていた。薄膜はしばしば痙攣し、細かな柔らかい棘が震えた。
 幾らか時間が経過したとき、有機体の正面に当たる部屋の上部の壁面の一部が、円形に赤く変色した。有機体の薄膜の下から現れた球の黒い部分は上面の赤い円と直線を結ぶような方向に動いた。円が壁面を動きはじめると、球は常にその方向を向くように動き、赤い円が、球の黒い部分が周囲の薄膜に隠れてしまうような位置まで動くと、最初有機体の薄膜は更に収縮したが、それが限界まで達すると、今度は球形の部位自体がその方向に正面を向いた。上面の赤い円は消えた。有機体の球は上下左右に動き、同時に球体も先程と同じように向きを変えた。その動きは消えた円を追っていた。二つの球は像を認知する器官であるようだった。
 同様にして部屋は幾つかの変化と動作で、有機体の部位と器官の役割を明らかにした。しかしある一点からは有機体は部屋が齎す外的刺激に反応を示さなくなり、蠢きながら大きな音を発しはじめた。球体の中央、二つの裂け目の間が薄く開き、その裂け目の間からは無色の液体が流れ出した。
 部屋は沈黙した。部屋の内部には有機体の発する音のみが響いていた。
 暫く時間が経過した。すると部屋の上面に細長い直方体の窪みができ、最初に底面にできた窪みと同様にして穴が開いた。穴から有機体の筒状の部位と似た、三箇所で屈折する金属製の棒が出てきた。その棒には弾力のある半透明の管が絡まりついていた。管は棒の先端に繋がっている。先端には有機体のそれとは違い、それまでと同じ半透明の管の短いものがついた透明な円錐台の容器がついていた。棒は有機体の歪な球体まで下がり、容器の先端を有機体の音を発していた穴に入れた。有機体から発せられていた音は止まり、薄い赤の縁取りが管を包み込んだ。
 管の中を黄白色の液体が流れてきた。それは有機物であった。液体は棒に沿って流れ落ち、容器の前で一旦止まると、少し勢いを弱めて容器の中に流れ出した。液体は容器に溜まり、短い管を通って緩やかに有機体の穴に流れ込んでいった。有機体の赤の縁取りと球体を他の部位へ繋ぐ細い管が動き、容器の中の液体が徐々に減っていった。
 有機体からは細い管を液体が規則的に落ちていく音がしていたが、やがて止まった。穴の縁からは液体が少量溢れ出したが、それも止まり、管が穴から抜けて棒は折り畳まれ、上面へと戻っていった。先程の動きを巻き戻したかのように、全く逆の動きで上面の穴は跡形もなく消えた。
 暫くの間蠢いていた有機体は、薄膜で二つの球を覆い、大きな部位が小さく膨張と収縮を繰り返す以外は動きを止めた。歪な球についた中央の二つの穴からは空気の擦れる静かな音が、絶えることなく発せられていた。

 一定の時間の経過と共にそれが繰り返され、約千五百回繰り返されたとき、管を流れる有機物に変化が生じた。液状だったそれには固体が混ざりはじめ、回数が減り、一回の時間が長くなったのである。
 有機体は当初よりやや大きくなり、球形部から伸びていた黒い繊維は歪な球の後ろの三分の二を覆い隠す長さになっていた。
 繰り返しの十回に一回の割合で、上面から別に現れた二本の棒と、有機体の乗っていた直方体から出た棒と壁が、温められた純水を使って有機体を洗浄し、その後乾燥させた。またそれより割合は多く、有機体は一番大きな部位の、下側の筒状部位の間にあった閉じられた穴から軟性のある褐色の固形物やその前部にある裂け目から透明の液体を出した。それらは底面から現れる太い管によって即座に吸い込まれ、その近辺と穴などは洗浄された。その他には繰り返しの三十回に一回、上面から出てきた二本の棒の内一本の先についた二枚の金属片を組み合わせたもので、筒状部位の先端にある合計二十枚の硬質の器官が、徐々に伸びつづけている先端の白色部分を切断された。
 有機体の乗った直方体は底面の壁まで沈み、有機体は交互に動く上の二本の筒状部位と壁面との摩擦によって、上を向いた球形以外の他の部位を引きずりながら部屋の中を動き廻った。有機体は大量の時間をかけて直方体の部屋の底面の全てに接触し尽くした。
 上面から出る管は太くなり、先端の容器は管と同じ太さになった。接続された短い管は若干直径が大きくなり、管を流れるものは半固形状のもののみになった。それが約百八十回繰り返されると、管と棒は出てこなくなり、今度は側面の壁が開き、半固形状の有機物が入った立方体の蓋のない容器と、以前より小さくなり、先端が浅い半球がついた棒が出てきて、半固形状の有機物を掬って有機体の赤く縁取られた穴に入れた。有機体は有機物を入れられると、穴の赤い縁取りや球体の下の細い管状器官を動かして有機物を内部へ落とした。
 やがて屈折する棒は出てこなくなった。容器の出てくる回数は、同量の有機物の出てくる三回に対し、少量の異なる有機物が一回出てくるようになり、出てくる有機物は次第に固形化した。また同時に円筒状の容器に入った、無機質の含まれた液体が出てきた。それが約三百六十回繰り返されると、出てくるものは固形の有機物と液体のみになり、量は毎回ほぼ同量になった。
 有機体は下部の、上部のそれよりやや太く、先端の部位も大きい筒状部位で全体を起こすようになった。有機体の大きさは最初の約一・五倍にまで変化しており、全体が起こされた状態では球形にある黒い繊維は一番大きな部位の下端に達した。有機体は交互に出した下部の筒状部位の先端と部屋の底面との摩擦で、部屋の内部を移動するようになった。

 その後、容器に入った有機物は約九千八百五十五回ほど出てきた。有機体はそのたびに上部の筒状器官の先端で有機物を固定して赤く縁取られた穴へ運び入れ、歪な球体から偏った楕円体に近い形へ変わった部位の頂点を上下に動かし、固形の有機物を潰して体内へ落とした。有機体の大きさは最初の三倍に近くなり、球体の黒い繊維はその五つの穴や裂け目を全て覆い隠し、下部の筒状部位の付け根に届くまでの長さになっていたため、有機体は絶えず、上部の筒状部位に五本ずつついた器官で繊維を、球体の前面から押し退けていた。
 部屋の底面に亀裂が生じた。それは底面の中央にできた長方形の溝であり、最初に生じた亀裂と同じものであった。長方形は直方体の窪みになり、縦に両断されて左右へ消えていった。有機体は部屋の隅で、中央の部位の下部分を底面につき、折り曲げた下の筒状部位を上のそれで固定していたが、二つの球と、それのある部位、そして全体を穴の方向に向けた。有機体は上部の筒状部位の先端と下部の筒状部位の屈折部分と先端を底面につき、それぞれの屈折運動と、接触部分の壁面との摩擦によって穴の近くに移動した。
 有機体は緩慢な動きで底面の穴の上に二つの球を移動させていった。それについて黒い繊維が穴の内側へ垂れ、赤い縁取りの穴は半開きになっていた。球上の薄膜同士が寄り、裂け目の中の黒と白の比率が変わった。穴の底がせり上がってくると、薄膜は収縮し、有機体は各部位を忙しなく動かしてその場から後方へ移動した。
 長方形の底が壁面より上へ出ることはなく、底面と全く同じ位置で止まった。
 そこには新たな有機体が乗せられていた。新たな有機体は全体を、有機体の黒い繊維とは若干異なる短い繊維に覆われていた。それの大きさは先にあった有機体の最初の大きさよりも小さく、基本的な形状は大体に於いて同じであったが、部位は一つ多く、他の部位の形状や構成は殆ど異なっていた。
 部位は七つあった。
 一番上に位置する部位は最初のものと同様に、周囲の環境を認知する器官などが集まっていた。しかしその形は楕円体と半球を組み合わせたようであり、空気振動を認知する器官は最初のものより上についており、形状は三角形に近かった。丸みのある四角錐と同様の器官は、音を出す器官の穴について前面に突き出していた。その器官の左右には黒い繊維よりも太く硬質の、先細った棘が十数本ずつ突き立っており、同様のものが、薄膜の上などの幾つかの場所にもあった。薄膜の下の球は既に剥き出しになっていたが、最初のものでは白かった部分は緑がかった黄色であり、黒い部分は円形であったが、穴から明るい部屋へ出てくると、半円満たない長さの二つの弧の両端同士を繋げた形に変わった。
 次の、五つの部位へ接続している一番大きな部位は、前の部位の約四倍ほどの大きさで、円錐台に近い形であった。前の部位との反対側の端には、最初の有機体にはない、全体の長さより少し短い、細くしなやかな円柱状の部位がついていた。
 残りの四つの部位は最初の有機体にある四本の筒状部位と同じ機能を有していたが、屈折部分同士の間の部分と先端の形は異なり、長さの比率も違っていた。またその有機体は四本の部位を下にしており、上の部位が中央の部位と垂直方向を向くようについていた。
 最初の有機体は上下の薄膜を限界まで収縮させていた。下部の筒状部位は全体が底面に密着するように屈折し、上部のそれは底面に向けて垂れていた。二つの球の黒い円は新たに現れた有機体に向けられており、新たな有機体のそれもまた元からあった有機体に向けられ、暫くの間、双方共に空気の吸入と排出以外の動きは全くなかった。
 膠着を破ったのは元からあった有機体であった。有機体は上部の筒状部位の片方を、新たな有機体に向けて伸ばしたのである。その動きが突発的であったためか、黒尽くめの有機体の筒状部位は一気に伸び、その全体が後方に向け空中を通って部屋の中央から離れていき、弧を描いて底面に落ちると、筒状部位の先端の硬質の器官との摩擦で止まり、最初と同じ姿に戻った。全体の黒い繊維はその表面に対しほぼ垂直に逆立ち、薄膜の上の方についた器官は後方に倒れていた。元からあった有機体の赤く縁取られた穴に当たる新たな有機体の穴には、半ば開いて内部に並んだ鋭利な白い器官があり、その奥からは空気の擦れる音が漏れ出していた。
 新たな有機体が後方へ移動した瞬間、筒状部位を延ばした方の有機体は音を発した。その重心は後方へ移り、それを筒状部位の先端と下部の筒状部位の付け根、そしてその先端の器官を底面について支える形に各部位が屈折した。球上の薄膜は球体を顕わにしたまま細かく震え、赤い縁取りは奇妙に歪んで開いていた。

 暫くの硬直の後に、元からの有機体は再び緩慢な動きで新たな有機体に接近した。新たな有機体はそのたびに遠ざかり、全体の針状器官を逆立たせて、前部部位の三方へ割れた裂け目から摩擦音を出した。それが幾度も繰り返されると、その内両者の距離関係は一定に保たれるようになった。
 特定の時間が経過すると、側面の壁の一部が開き、中から有機物の入った蓋のない容器が出てきた。六つの部位に分かれた有機体はそれに近づき、有機物を以前からと同じように穴の一つに入れはじめた。しかし時折、球状部位を新たな有機体の方向へ向け、その存在を認知しているようであった。
 新たな有機体の様相が少し変化していた。空気振動を認知する三角の器官は後ろに倒れたままだが、鋭利な器官の収められた穴の上にある二つの穴の周囲が緩慢に痙攣するような動きをし、二つの球の中心は有機物の容器に向けて固定されていた。中央の部位に接続する筒の底面側が何度も蠕動した。
 有機体は一回分の有機物を全て内部に入れた。容器が壁の中に戻り、壁面は何事もなかったかのように完璧な平面に戻った。有機体は新たな有機体の方向を向いて、筒状部位の先端に付着した有機物の残滓を、有機体を入れていた穴で刮ぐように外していた。穴の中には新たな有機体のそれと同じように白い、しかしそれよりは鋭利ではない器官が上下に並んでいた。その下側の中央には楕円のような赤く柔軟な器官があり、中に一本から四本押し込んだ細い筒状器官の上を擦っていた。
 有機体は再び新たな有機体に近づいていった。同じように後者は等間隔を保ったまま離れていったが、有機体は近づく速度を上げはじめたため、黒尽くめの有機体は後退しつづけるだけでは間に合わず、遂には向きを変えて遠ざかりはじめた。
 二つの有機体の速度の差は比べるべくもなく小さい方が速かったが、その場所は密閉された立方体の中である。側面から側面へと移動するうちに、二つの有機体は部屋の底面の四辺に沿うように廻りはじめていた。有機体は赤い縁取りを弧状に曲げ、その間から断続的に音を出していた。
 有機体の、底面と摩擦させて全体の推力を作っていた部位が、突然摩擦を失って全体が横倒しになった。先を進んでいた黒尽くめの有機体は部屋の逆側の角で停止して向きを変えた。全体の前側半分が大きく上下し、大きく裂けた裂け目の奥の穴からは内部の空気が洩れ、更に奥の器官を摩擦されてざらついた音を立てている。有機体は横倒しのままもう一つのそれと似たような音を立てていたが、どこかの部位に支障を来たしたというわけではないようであった。
 有機体の薄膜はそのまま閉ざされ、排気が沈静化してくると、それは規則的になり、有機体は動きを止めた。隅で固まっていたもう一つの有機体は、その一部始終に二つの球体を固定していたが、同様に排気が落ち着きはじめると、上下に並んだ白い部位の間の、もう片方のそれと同じ器官を使って各部位の黒い針状器官を擦りだした。

 容器が壁の中に消えてから一定の時間が経過した。有機体は薄膜を開けて上半分を起こし、上部筒状部位の先端でその周囲を擦ると、側壁のある一点に近づいていった。それは有機物の入った容器の出てくる場所であった。有機体の動きに対して、黒尽くめの有機体は薄膜を開き四本の筒状部位で起き上がっていた。有機体は黒尽くめの方向を少し向いたが、すぐに壁面に向き直った。
 暫くも経たないうちに壁が開き、中から有機物入りの容器が出てきた。有機体はそれに筒状部位の先端を伸ばすと、五本の器官で有機物を固定し、筒状部位の屈折によってそれを赤い縁取りの穴に送る一連の作業を始めた。
 黒尽くめの有機体はまた先程とは様相を異にしていた。先程よりも過剰な変わり様であった。柔らかな棘に薄く覆われた薄膜は全く見開かれ、空気の出入りは激しくなっている。二つの球体も、元からあった有機体の有機物を運ぶ動きに連動するように動き、七つ目の部位が曲線を描いて素早く振られていた。
 極緩慢な動きではあったが、有機体は動き出した。一連の作業を続ける有機体の元へ、である。元の有機体が黒尽くめの有機体を向くと、それは動き出した形のまま静止した。有機体が有機物を詰め込む作業を再開すると、それはまた動きはじめ、そのようなことを繰り返しながら、二つの有機体の距離は近づいていった。
 有機体は滑らかな動きで、近づいた有機体の方向に二つの球体を向けた。有機体は、新たな有機体が壁面から現れたときのような反応はせず、痙攣的な動きもしなかった。痙攣的に動いたのは黒尽くめの方であった。それでも最初のときのように離れた位置へ移動するようなことはなかった。三角の器官が倒れたまま、全体は低位置に下がり、第七の部位は硬直しているものの、その場所から離れる様子はない。
 唐突に、有機体の筒状部位が伸び、黒尽くめの方に突き出された。微動だにしなかった有機体は、今度は少し空中を移動した。痙攣的な動きで底面と有機体の器官の間に摩擦が生じた。底面に下半分の部位を密着させる形になっていた有機体の、筒状部位の先端には灰白と少し濃い灰白に色分けされた有機物が乗っていた。
 小さな有機体は着地したときの形のままで凝固していたが、大きな有機体が動かないため、緩慢な動きでその筒状部位に乗った有機物に近づいていった。上部部位の先端の二つの穴が近づき、その周囲が僅かに動く。次に球体器官を細め、全体を傾けて前部筒状部位の先端を上へ動かし、灰白の有機物と痙攣的に二度三度接触させた。有機体は同じ形で動かず、それに二つの球体の黒い円を向けていた。
 有機体の奥に穴のある器官の裂け目が開き、内部の上下に弧を描いて並ぶ白く鋭利な器官が剥き出しになった。鋭利なそれの先端同士が有機物を挟み込むと、有機体の球体部位は即座に後方へ動いた。重心を低くした形状を保ちながら、有機体はやや後方に移動し、灰白の有機物を体内へ入れる作業を始めた。作業は元の有機体のそれに比べて酷く時間がかかった。
 長く黒い繊維のある有機体は作業に戻らずに、黒尽くめの有機体の作業に二つの球を向けていた。有機体の前部部位は、有機物を白い器官で磨り潰してその位置を変えるために始終上下に動いていたが、しばしばその間から有機物が外れて底面に落ち、上下運動が増幅されていた。
 有機物が内部に納まると、大きい方の有機体は再び筒状部位の先端に別の有機物を乗せて、小さな有機体の方向へ突き出した。有機体は今度はすぐにそれを白の器官に挟み、同じことを繰り返した。
 それを何度か繰り返すと、有機体は有機物を収めなくなった。少し離れた位置に移動して、前部筒状部位の先端を裂け目から出た赤い軟体で擦り、それで裂け目の周辺を擦る作業を反復しはじめた。元からの有機体は二つの球体を連動させつつ左右に動かしていたが、有機物をそれ自体の内部に押し込む作業を再開した。

 それからはまた反復と微細な変化が連続していった。二つの有機体は一定時間ごとに出てくる有機物を内部へ落とし、大きな方はこれまでと同じ割合で洗浄され、小さな方はそれ自体で簡易的な洗浄を行っていた。前者は後者の動きを認知して同様の洗浄動作をしたが、偏りのある楕円体に開いた穴の赤い軟体は全体にまでは届かず、重心の移動で底面を何度も転がった。それを幾度か繰り返すと、有機体はそれ自体での洗浄を行わなくなった。二つの有機体は余り離れた場所に位置しなくなり、小さな有機体も直接容器から有機物を取るようになった。
 暫くして、有機体は近くで薄膜を閉じて動きを止めていた黒尽くめの有機体の、前部部位の先端近くに突き出した白く短い針状器官を、上部筒状部位の先端についた円錐台状の器官の屈折で圧迫して固定し、そのまま筒状部位を後方に引いた。同時に針状器官が根元から引っ張られ、薄膜を収縮させた有機体は大きく音を上げながら前部筒状部位の先端にある尖った弧状の器官と大きな有機体の表面を強く摩擦させた。有機体は半開きだった薄膜を急激に収縮させると、より大きな音を発しながら摩擦の起こった筒状部位を素早く動かした。その先端は小さな有機体の針状器官を圧迫していた器官であり、それは圧迫を緩めながら有機体の前部部位の先端に接触して衝撃を伝えた。
 有機体の、剥き出しの上部筒状部位には数本の平行な曲線が現れ、そこからは赤い液体が溢れ出した。液体は部位が動かされた方向とは逆方向に細かな無色の棘の間を伝い、赤い弧を描いた。二つの球体と下側の薄膜の間から透明の液体が浮かんでいる。筒状部位と衝突した有機体は重心を下げた形になり、球と球の間には複数の溝が生じ、薄膜は殆ど閉じられて一番下の裂け目からは鋭利な針状器官が剥き出され、三角の部位は最初と同じように後方へ倒れていた。
 二つずつの球体器官の間に直線が結ばれていた。その直線は微動だにせず、二つの有機体もまた動きを止めたが、両者共が全体の上半分を大きく上下に動かしていた。
 その均衡を破ったのは今度は二つの有機体の何れでもなく、部屋であった。部屋の底面に以前と同じ過程で穴が開き、小さな黒尽くめの有機体はその穴から出てきた三つの屈折器官を持つ金属の棒に固定され、穴の中へ引きずり込まれたのである。有機体はその一部始終に、薄膜を動かすこともなく球体を向けて認知していた。
 別の壁面、有機体の左側の側面からは別の棒が出てきた。それの先端には部位一つを固定するための、一面がなく二つの向かい合った面が上下に動く四角柱の筒がついており、開いた面には金属質の繊維の束が無数に突き出し、他には幾つかの管と微細な穴の開いた円柱がついていた。それには三つの屈折器官があり、各器官の鈍角が大きくなると、先端が硬直した有機体の、摩擦により生じた薄い溝のある部位に届き、それを適当な力で固定した。溝の方向に向いた面から、透明の液体が細かな粒状になって噴き出してその溝に触れると、有機体は穴から音を出しながら固定された筒状部位を痙攣的に上下左右に動かしたが、固定された先端部分が外れることはなかった。液体の噴射が終わると、薄まった赤色の液体が管に吸い込まれていった。次に金属質の繊維の先端が光を発しはじめ、それが部屋の放つ白い光よりも強くなると、有機体は上下に赤味を帯びた薄膜を閉じ、偏った楕円体の部位をその棒の逆方向に向けた。
 有機体が緩慢に楕円体を戻すと、既に棒は側壁の中に収まっており、有機体の筒状部位から薄い溝と赤い液体が消失していた。
 そうして有機体はまた無機物に満たされた部屋で、ただ一つの有機体となった。

 有機体は容器に入った有機物を内部へ入れる作業を三回行わなかった。
 有機物はその後約千八十回ほど出てきた。有機体がそれを内部へ収め終えてから少しの時間が経過すると、三度底面が開いた。有機体は穴から遠ざかり、部屋の隅で折り畳まれた下部筒状部位を上部筒状部位の屈折で固定していた。二つの球体器官はその穴に向けられており、薄膜同士の中間には幾つかの溝が刻まれていた。
 せり上がってきた長方形に乗っていたのは、有機体の最初の形状と殆ど同じ形状をした新たな有機体であった。有機体は新たな有機体に球状器官を向けていたが、暫くすると向きを変え、壁面と壁面の角に全体を向けて動かなくなった。
 一定の時間が経過し、側壁が開いて中から有機物の入った容器が出てきた。有機体は酷く緩慢にそれに近づいていくと、有機物を内部に詰め込む作業を始めた。底面の上に転がった新たな有機体から小さな音が立っていたが、有機体は向きを変えずに有機物を穴へ落としていった。有機体の薄膜の上下は薄赤く変色しており、薄膜の下には液体が流れて蒸発した痕跡が続いていた。
 あるときを境に、新たな有機体から大きな音が出はじめた。それは最初の有機体が部屋に現れたときに発せられていた音と同様のものであったが、部屋の上面が開いて棒が出てくるようなことはなく、有機体も最初はそれに対し微弱な動きをしたが、それ以降は決して新たな有機体の方向に、球体器官はもとより全体の前面さえ向けなかった。
 新たな有機体は徐々に動きが少なくなり、音も出なくなった。そうしているうちに新たな有機体の動きは完全に停止した。有機体はその後、容器の有機物が七回出てきたときに初めて有機体であったものに全体を向けた。その薄膜の境界には、殆ど変わらない透明な液体が満ちていた。

 一定の時間が経過したが、側壁から有機物は出てこなくなった。ただ有機物の出てくる回数の三回に相当する時間が経過したとき、有機体の洗浄乾燥が行われた。それ以外に部屋は何も変化しなかった。有機体は一度だけ有機体であったものに薄膜の半分閉ざされた球体を向けたが、すぐに方向が向き直り、後は延々と側壁と側壁の角に全体を向けて動かなくなった。
 それに加えて有機物の容器の出てきていた三回分の時間が経過した。有機体は壁に向かいつづけていたが、半球と楕円体を組み合わせたような偏った楕円体の下端は微妙に鋭角に近づき、その下の他の四つの部位に接続している部位の下部は薄く抉ったような形状になっていた。何度もその付近から音が出たが、有機体は壁に向かっていた。
 更に三回分の時間が経過したとき、有機体は緩慢に全体の向きを変えた。その方向の先は直方体の底面の中央部分であり、そこには有機体であったものが転がったままになっていた。有機体であったものは幾分内部の水分が蒸発して表面に無数の溝が出来ていたが、大体に於いて元の形状を保っていた。
 有機体は上部筒状部位の先端と、下部筒状部位の付け根から一つ目の屈曲器官と先端とを摩擦させて、底面を移動しはじめた。
 有機体が有機体であったものの直前まで近づいたとき、これまでと全く違わぬ動きで底面に穴が生じ、有機体であったものはその底へ落下した。有機体は、乾燥した赤い縁取りを半開きにしたまま、その場に静止していたが、やがて全体を底面に密着させた。
 有機体の薄膜の境界からは延々と透明の液体が流れつづけた。

高校の文芸部部誌第三号『track with no fixed aim』に掲載。修正版。