| はて―― 見ると辻の中ほどに、一つ模糊とした陰が在った。理然は歩を止めた原因に気づいた。 「…… 陰が突如、 「斯様な場所で――」 何をしておられる。そう訊ねようと歩み寄った理然を、陰は鋭く制止した。その動きから、理然は陰が 「如何なされ――」 「御坊」 陰は押し被せて言った。 「……驚き召されるな……」 「――おッ、 暗がり――否、闇溜りが、その胎に含んでいた異物を吐き出した。理然は後退った。手にした錫杖が音を立てる。砂利が軋む。 「……な――」 何者か。問いを呑み下す。 蟠った夜から抜け出た陰は、異形であった。 「恐れることは御座らぬ」 陰は一歩進んだ。理然は後退りかけて脚を止める。 理然は己を恥じ、息を一つつくと、今度はその姿を真向から見据えた。 襤褸を纏ったその形は、人のそれである。だが月光を反射する縦長の瞳や、体表に敷き詰められた黒っぽい鱗は、全く人の有し得るものではなかった。 「……御坊」 咽喉を擦る耳障りな声。理然は二の腕に生じた粟を撫でた。それは人の形をした――頭から血を流した、 「拙僧は……否、儂は理然と申す、見ての通りの乞食坊主に御座る。そなたは……何者か」 上擦りそうになる声を必死に抑え込み、理然は問うた。それは長い首をもた擡げる。 「儂は、先刻御坊が殺して喰うた蛇に御座る。御坊がその錫杖で打ち据えた、小さな黒い…… 「何と……ッ」 理然の面が、見る見る内に血の気を失った。 「し、仕方が……ッ」 握り締めた錫杖が鳴る。理然は蛇の頭を叩き潰した、あの厭な感触を思い出した。 「仕方が……なかったのだ、儂は……」 「存じ上げて御座る」 枯助を名乗る蛇は、抑揚の欠いた声で言う。「存じ上げて御座る。御坊が飢えに堪えかねて儂を喰うたことは、重重存じ上げて御座る。 「おお……」 漏らすなり、理然は地に膝をついた。 「では……では何ゆえに……」 子が、と枯助は答えた。 「……唯気がかりは、儂の一匹の子に御座る。未だ孵らぬ幼き我が子に御座る」 枯助は思い出すように眼を細めた。 「我が妻は 理然は先刻腹に収めた蛇が非道く痩せ枯れていたことを思い出す。 「御坊。御坊に仏の それが、親の倫なれば――そう言うと、枯れ助は夜闇に消えた。 理然は砕ける脚を叱咤して、もと来た道をひた走った。辺りの真闇は幾度もその脚を掬ったが、理然はその度に立ち上がっては駆け、先刻自らが枯助を殺し喰らった場所へ戻り着いた。 そこには、喰い残した枯助の骨を銜えた大狐が腰を据えていた。冷である。冷は理然を一瞥すると、枯助の骨を噛み砕いて呑み込み、叢に巧みに隠されていた卵に前肢をかけた。 「な、ならぬ、ならぬぞッ」 理然は冷に錫杖をも以って打ちかかった。 叩きつけられた地面が血飛沫の如くに草葉や土を跳ね上げる。女狐は軽やかに飛び退き、にやりとして理然を見た。 「妙な坊主だねェ」 冷は尻尾を振った。 「自分は それとも、咽喉もと過ぎればって奴なのかい――冷は嘲笑った。 「ぬ……」 理然は唸った。錫杖を下ろしそうになり、慌てて面を上げる。 「……私事では御座らぬ。その、 再び錫杖を振り上げる。二度、三度とそれを躱した冷は、理然は卵を避けてよろめいた隙を突いて、その咽喉笛に喰らいついた。 「ッ」 声ならぬ叫びを発した理然は、懐から懐刀を抜き出すなり冷の腹へ切先を突き立てた。 凄まじい悲鳴が上がり、理然が地に伏したときには、既に冷の姿はなく、唯点点と鮮血が、女狐の行き先を示していた。 理然は嘆息して、卵を振り返った。それは月光に艶艶と輝いて、草の上に在った。息も絶え絶えに卵に手を伸ばした刹那、卵は動き出し、理然の見ている内に、もがきつつ殻を突き破り、黒光りする蛇の子が頭を覗かせた。紛うことなき、枯助の子である。 理然はもう一度嘆息すると、眼を閉じた。 |
2003年度T海大学学園オリンピック国語部門、二次選考にて奨励賞。修正版。